東日本大震災から学ぼうと、25日と26日に岩手県で開かれた自治政策講座に参加しました。
講師は岩手県復興委員会総合企画委員会委員長の斎藤徳美氏と前岩手県防災危機監理監の越野修三氏
25日は被災の状況と対応、そして現在にいたる復興の状況の講義、26日は釜石市〜宮古市を視察しました。
私は去年7月9日〜11日まで今回と同じ、岩手県宮古市から釜石市、そして宮城県の石巻市を訪れ、
仮設住宅の方達に岐阜の皆さんから託された義援金と絵手紙を届けました。
今回は被災から1年7ヶ月経っているので、当然ながら状況が以前と随分違っていました。
被災から4ヶ月だった前回は、いたる所が被災の様子そのままという状況でしたが、今回はほとんどの建物が撤去され、がれきも分別が進み、平地が広がる所に、草が乱雑に生えているという状況でした。
家があったということを示すコンクリートの土台に目がいかなければ、ただの空き地が広がっているだけというように、見てしまうかもしれないと思いました。
土台がそのままの状態ということは、次の構想がないということ、政治の復興への方針が見えていないということだということを現地で改めて認識しました。
視察させて頂いたのは岩手県内の遠野市後方支援基地、、大津波の被災直後から地域の避難所となり一時は120人が避難した宝来館、町長以下33人の職員が亡くなった大槌町役場跡、今回の津波が超えて、一部損壊した田老町の高さ10b延長2,330bの防潮堤などです。
講師のお二人は参加者110人が分乗する3台のバスに時々入れ替わって乗って下さり、車中で、現地で、率直に防災体制の在り方、現在の課題を話して下さいました。
死者、行方不明者が2万人という今回の災害、そして東電の原発事故、斎藤氏の、「対策が遅れれば、人はいなくなってしまう。そこに道路も公共事業も必要がなくなってしまう、地元の人達が自立できる支援を優先しなければ、もう1年7ヶ月もたってしまっているのだ」という言葉から、政治の空白への怒りと焦りを感じました。私も同じ思いです。
お二人から学ばせて頂いたこと、まだ整理できませんが今後大切に生かしていかねばと思っています。
写真を紹介します。
地盤沈下のため、かさ上げ作業中の釜石港
釜石市鵜住居町 宝来館
左・宝来館女将 岩崎昭子さん 右・越野修三氏
避難した100人が亡くなった鵜住居防災センター
旧大槌町役場
役場に津波が押し寄せた時刻を示す時計
田老町防潮堤
今回の13bの津波で破壊した防潮堤