今月2日から8日まで岐阜県ユネスコ協会のスタディツアーに参加し、カンボジアに行ってきました。
県ユネスコ(以下略)では子どもと大人の識字教育を広げようとカンボジアで、寺子屋運動を展開しています。
そして若い世代に平和の尊さを学んでもらおうと、学生を対象としたスタディツアーも行ってきていて、今回6回目です。今回は高校生を含む学生が14人、大人6人の参加で初めて地雷除去の視察も加わりました。
カンボジアの地雷除去はどうなっているのか、以前から関心がありました。県ユネスコに入れて頂いて1年余り、私は初めてのツアー参加です。
ポルポト時代の大量虐殺、多くの地雷、不発弾による被害者、貧困、世界遺産のアンコール・ワット遺跡、帰国してからもこのカンボジアの状況をどう受け止めたらいいのか、気持ちの整理ができていません。
今後、ブログで雑観という形で何日かに分けて、まずは自分のためにメモを残していこうと思います。
カンボジア 雑観@
8日に帰国してすぐ電話を入れたのは、各務原市に住むNさん(88)。
電話の向こうから「ほうですか、カンボジアからもう帰ってきたんですか、で、○○は行きなさったかな?○○は?」と矢継ぎ早に土地名を言われ、そこがどの方角かもわからない私は、近々ゆっくりお逢いすることで、電話を切らせて頂きました。
Nさんは18才の時、高い倍率の中、東京陸軍航空学校に入校し、その後、第二次大戦で、タイ、カンボジアで通信伍長を務め、ベトナムで終戦、ハノイで捕虜生活1年の体験をされています。
6ヶ月いたカンボジアの子達が今も地雷の事故に逢う現状をニュースで知る中、Nさんは何とか安全に地雷撤去ができないか、航空技士としての経験を生かし、農業で使う、トラクターを改良したリモコンで動く地雷探知機を作り出されました。大手のメーカーもそれを参考にしたいと何人も訪れていました。もう15年ほど前のことです。私もTVのニュース取材に訪れ、子供たちを思うNさんのお人柄に魅かれ、その後も親しくさせて頂いています。
元自衛隊員で現在、カンボジアで地雷除去活動にボランティアで活躍されている山田さんと平井県ユネスコ会長との連携による準備があって、地雷撤去の現場に行くことができました。そして最前線で地雷や不発弾の処理にご尽力下さっているJMAS(ジェ―マス)やCMAC(シ―マック)の活動を知ることができました。行くまでの手続きで、血液型まで届けなければいけなかった背景の重さを今改めて感じています。
Nさんにお逢いしたら写真を見て頂きながら不発弾処理の様子や、STの学生さんと子供たちの笑顔いっぱいの交流の様子もお伝えし、少し安心して頂けたらなと思っています。
2012年03月14日
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