2016年03月13日

沖縄の平和教育

沖縄の平和教育を学ぼうと、2月に沖縄県糸満市とうるま市を視察しました。
太平洋戦争では沖縄県は日本唯一の地上戦の激戦地となり一般住民を巻き込み、20万人もの尊い命が失われています。この中には負傷した兵士たちの「看護要員」として動員されたひめゆり学徒と呼ばれた女学生たちもいます
 沖縄県は日本軍の組織的戦闘が終結した1945年6月23日を休日条例で「慰霊の日」と定め、戦没者の霊を慰め平和を祈る日としています。多くの方からお話しを伺う中で、この日を特別な日として、生活が営まれているように感じました。
 慰霊の日、糸満市の小学校では、PTA親子集会として糸満市役所から平和記念公園まで歩いて行進し、慰霊祭に参加します。親たちの熱心な取り組みがされています。また6年生は現場でひめゆり学徒の話を語り部の方達から聴くなど、平和の大切さを学んでいます。うるま市の小学校では全児童参加による平和劇「対馬丸」を慰霊の日に公開し、劇を通じ、同じ世代の当時の子どもたちに自分を重ねて考えるなど、各学校で多角的な取り組みがされていました。一方で高齢化して、少なくなる戦争体験者の「伝承者」を育てる取り組みも積極的にされていました。沖縄戦をテーマにした絵本も多く書店に並び、また市民の読み聞かせグループ活動も活発でした。
 ひめゆり学徒が看護要員として動員された沖縄陸軍病院南風原壕群の20号壕に入り、説明を受けました。全長70bのこの壕は補強工事の上、2007年から公開されています。幅1・8b、高さ1・8bで壁に沿って幅90aの2段の棚が並んで患者が横たわり、中央に手術場があったということです。壁面や天井は、米軍の火炎放射器で焼かれた黒い跡や、焦げた木材がそのまま残っていました。戦時中はこういった壕ガ30ほど掘られてということです。昼でも暗い壕の中、ケガをした兵隊が次々と運ばれ、手術の手伝いをしたり、外へ水を汲みに行くなど休みなく働き,最期を迎えた10代の子たちの思いは健気という言葉ではなく、何と表現したらいいのか、今もわかりません。壕を出ると目の前は競技場でした。たまたまサッカーの名古屋グランパスのキャンプ場として使われていて、おなじみの選手の顔写真の旗が所狭しと、グランドの周囲に飾られていました。(練習終了後で選手の姿はありませんでした。)終戦から71年になる今年、戦争体験を風化させず、伝承していく大切さを沖縄から教えられました。
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南風原壕群20号と案内人
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壕に埋められた医薬品類
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posted by 高橋かずえ at 23:57| 岐阜 ☁| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする